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2013年10月11日

金木犀の咲くころ

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始まり

昔、自宅の庭に、金木犀の木が植えられていた。
昔ながらの平屋建ての家だったから、屋根を超す高さの金木犀だ。
私の部屋は、窓を開けると、金木犀の枝で半分はふさがれていた。
花が咲くころは、窓を閉めていても、部屋中があの独特な香りで満たされていた。
この頃の私は、金木犀の香りが大嫌いだった。

回想

最初の記憶は、他愛のないいじめだ。
主犯格の子の家の、トイレの芳香剤に似ていたらしく、「便所くさい」と言って始まった。
騒がしいのが嫌いな子どもだった私は、いじめの対象になる事そのものよりも、周囲の雑音が大きくなることに、嫌気がさしていた。
そんなときの私の避難場所は、図書室だ。
当時すでに活字離れが始まっていたようで、図書室はいつも静かで、落ち着ける場所だった。

次の記憶は、挫折だった。
運動が得意な子どもだった私は、短距離走の選手として、鍛え上げられていた。
成長期の毎日の過酷な走り込みは、酷使した肉体の反乱という形で終わりを迎える。
競技会の直前だった。
病院の窓から眺めた、金木犀の黄色い花弁を、いまだに忘れる事が出来ない。

その後も続く人生を左右する記憶は、金木犀の香りとともに心の奥底に降り積もる。
静かに、着実に、抜けない棘のように。
そうして私は、金木犀の香りが大嫌いになった。

本物の絶望は、金木犀の時期にやってきた。
全ては頭上を空虚に通り過ぎ、
私はあの時の事を、よく覚えていない。
思い出すのは、眼裏に浮かぶ真赤と、身を包む蒼。
そして、真白な月光と、静寂。
記憶は心の奥底に閉じられ、残っているのはこの肉体と、わずかな痛みのみ。
そうして私は、何も感じなくなった。

追憶

社会人になると、毎日が多忙を極め、季節も曜日も分からなくなってくる。
ただ、ふと気づくと、あの金木犀の香りが漂って、今の季節を告げてくれる。
いつしか私は、その香りを懐かしむようになった。

実家に帰っても、あの金木犀は、もういない。
家の建て替えで、金木犀は切り倒された。
それからすぐに、私は実家を出てしまったから、思い出に残る実家には、いつでも金木犀の香りが漂っている。
甘く切ない香りだ。